忍びよる加齢と老後の孤独に怯える、すべての女性へ 【後篇】


【BOOK DATA】
写真・左:『中年だって生きている』(集英社刊)酒井順子/著、塩川いづみ/装画、大久保伸子/装幀 2015年5月30日発行 ¥1,300(税別) 写真・右:『子の無い人生』(角川書店刊)酒井順子/著、寄藤文平+鈴木千佳子(文平銀座)/装幀 2016年2月29日発行 ¥1,300(税別)


前篇】を公開してから間があいてしまいました、すみません。さて、『子の無い人生』です。「私は子どももいるし、『子の無い人生』は読まなくて良いかな……」と思われる方もいると思います。でも、どんどん増え続けていく「子ナシ族」や「子ナシ高齢者」との付き合い方の参考になると思うので、お子さんがいる方にもぜひ読んで欲しい一冊です。それに、お子さんがちょっと遠い未来に「子ナシ族」の仲間入りしてしまう可能性だって決してゼロではないのですから、万が一のときに備えて読んでおくと良いと思います。備えあれば憂いなし、人生において何事も5分前行動が大切です。

ではまずここで当ブログ恒例の、出版社の作品紹介ページからの、あらすじ引用です。
 
酒井順子、はたと気づく。子がいない私は、死ぬ時、誰に看取られる……?

40代になってわかった。女性の人生は未婚か既婚かよりも、子のある無しで方向性が変わることに……。自身の老後から沖縄の墓問題まで、未婚未産の酒井順子が「子供のいない人生」を見つめなおす赤裸々エッセイ。

100文字キッカリで1冊の概要がまとめられています、すごいです。「もうちょっと詳しい内容を知りたい、でもオマエの文章は読みたくない」という全うな考えをお持ちの方は、毎日新聞に掲載された〈SUNDAY LIBRARY 著者インタビュー 酒井順子 『子の無い人生』〉を、あわせてどうぞ。もうね、正直この記事を見つけたときは「あー…もう後篇、書かなくていんじゃね?(※若者風の口調)」とすら思いましたよ。もう『子の無い人生』の魅力がギッシリ、ミッチリと凝縮されている記事なので。

とはいえ、やっぱり『子の無い人生』は一人でも多くの女性に読んで欲しい作品なので、ものすごく個人的なことを織り交ぜながら紹介させていただきます。「子ナシ族」の一員である、ボンクラ自活系ひきこもりによる感想文みたいなものだと思ってお読みください。

まずは「子ナシ族」の対極である「子アリ族」にも読んで欲しい理由から。第1章の「年賀状」、もうこれは読み始めた早々、衝撃でしたよ。何がそんなに衝撃的だったかというと「ある種の子持ち家庭において年賀状を二種類作るのは半ば常識であり、「主婦として当然の心遣い」となっているらしいのです。そういえば以前、年賀状を見ていて「この人、小さな子供がいるのに写真無しの年賀状だなんて、珍しいわよね。よっぽどの渋好みなのかしら」などと思ったことがありましたが、それは「子ナシ族用の年賀状」が来ていたということだったのか。」という事実に! しかも「半ば常識」って!!

フリーランスで仕事をしていると、仕事とプライベートがごっちゃになるので、年賀状なんて仕事関係者やフリーランス仲間への挨拶みたいなものでして。そして、それが“普通”だと思い続けて40年近く生きてきた身としては、もうビックリ仰天ですよ。世間知らずであることは重々自覚していますが「世の中、こんなルールまであるのか?!」と。

また、同じ章の中で「昔の人はうまいことを言ったもので、子を思う親の心を「心の闇」と表現しました。源氏物語にも何カ所も「心の闇」という表現が出てくるのですが」と書かれている酒井さん。さすが『紫式部の欲望』(集英社刊、2011年)、『徒然草REMIX』(新潮社刊、2011年)といった作品も書かれているだけあります。(ちなみに「なぜ人は中年になると、源氏物語や枕草子やらといった古典文学を読むようになるのだろう」か、ということについては『中年だって生きている』の「回帰と回顧」の章で考察されているので、あわせてぜひ)

「心の闇」と聞くと、子ナシ族が子アリ族に対して一方的に抱く妬み・嫉みみたいなものだと思っていましたが、子アリ族の中にも「心の闇」があるのか……というのも驚きでした。子ナシ族の「心の闇」は自覚しやすいものでしょうが、子アリ族の「心の闇」は自覚しにくいもののような気が何となくします(「子アリ」になったことがないので断言はできませんが)。

この「心の闇」を自覚しているといないとでは、生き方がだいぶ変わってくると思うし、自覚して生きていた方がより良い暮らしができたり、良い関係性を周りと保てると思うので、子アリ族の方も『子の無い人生』を読んだ方が良いと私は考えています。

もう結構な文量になっていますが、もう一つ私が『子の無い人生』を読んで衝撃を受けたことについて書かせてもらいます。そう、酒井さんが仏壇の位牌を毎日世話しているうちに「子供がいない私は、誰に看取られる?」とハタと気付いたように。

沖縄の墓事情について酒井さんは「トートーメー」「イナググヮンスとグソーニービチ」「伝統と現実の間」の3章にわたって書かれています。この沖縄の墓事情も子ナシ族としては「ぎょえっ!! 沖縄出身でなくて良かった!」と心底感じてしまうほど恐ろしいものなのですが、読んでいてギャーッとなったのが「保守的な地方出身の方であったり、一定以上の年齢の方の場合は、「独身のまま亡くなった人は、実家の墓に入れない」という説をご存じ、もしくはその説の支持者」という記述。

自分は家族と色々とあって、ほぼ絶縁しているような状態なのですが、3人いる叔母・伯母は全員「子ナシ族」。父方の伯母(父にとっては義姉)は伯父(父の兄)と20年以上前に死別、叔母(父の妹)も同じ頃に離婚していて、ふたりとも「子ナシ」。さらに母方の叔母(母の妹)にいたっては未婚の「子ナシ」。そんな環境で育ったこともあり「結婚・出産をしていないことは、そんな不思議なことではない」と思いながら、これまた40年近く生きていました。

なので社会において未婚&未産女性が、ここまで“ケガレもの”扱いされているのは本当に衝撃的で、「自分がマイノリティであることは自覚しているが、まさか家庭環境まで……ナチュラル・ボーン・マイノリティ……ッ!!」と思わず愕然としてしまったワケですよ(余談ですがマイノリティとして自分が持っている感覚については、別の作品を紹介するときに書こうと思っています)。しかし、自分が社会的に“ケガレもの”だと分ったからといって、いきなり生活を変えられません。変えるとしても、何から変えたら良いのかすら分りません。

酒井さんは「はじめに」の章で「統計としては存在しないようなのですが、「生涯未婚率」ならぬ「生涯未産率」が、この先は重要な数字になってくるのではないかと、私は思うのです。「生涯、一度も子を産まなかった女性」の割合は、相当高いのではないか。(中略)子ナシ族が大量発生するということは、将来は子ナシ高齢者が大量発生するということでもあります」と書かれています。

さらに「おわりに」の章では「とはいえこの先、我々のような子ナシ族が老いていくにあたり、状況は刻々と変化していくと思われます。子ナシ族の中でも、情報収集能力、コミュニケーション能力、経済力などの違いによって、「子ナシでよかった」と思いながら死ぬ人と、「子供がいれば」と後悔の中で死ぬ人に分かれるという、子ナシ族内格差が生まれることでしょう。私も、後悔タラタラの「子の無い人生・老年篇」を書いているかもしれないのです」とも。

『負け犬の遠吠え』(講談社刊、2003年)から幾星霜、まさか酒井さんもこんな世の中になるとは想像だにしていなかったことでしょう。個人的には『子の無い人生・老年篇』は、ものすごく読みたい。というか酒井さんには「子ナシ族」の代表として先陣を切り続けていただき、大量発生するであろう全ての「子ナシ族」が少しでも満ち足りた状態で人生を終えるためにはどうしたら良いかを書き続けて欲しいです。

そんな酒井さんへのエールを秘かに送りつつ、自分も今後の人生について、もうちょっとは真面目に考えたいと思います。辛くなったときには『中年だって生きている』から元気をもらい、真面目に考えなければいけないことが生じたときは『子の無い人生』から「子ナシ族」として生きるヒントをもらいながら。